8月 人知れずの芸術、森に呼ばれる人
ヘルシンキで街めぐりをしていると、かわいらしい小屋がたくさん並ぶ緑に囲まれたエリアを目にする。日本でダーチャだとかクラインガルテンだとか、滞在型農園と呼ばれているのを想像してもらうといいかな。庭には野菜や果物、色とりどりの花。ここは通年で生活することは禁じられているのだけど、夏はここから会社に通っている人たちも多い。
ここのフリーマーケットが楽しい。収穫期のこの時期、いらなくなったおもちゃや本のほかに手作りのジャムジュースを売っていたりするのだ。商売けのなさもセンスも、街なかの有名なフリーマーケットとは相当違っている。首都なのに森と湖に囲まれた村の祭りを彷彿させるような雰囲 気だ。
おじいさんのトークにつられて買ってしまった本と常連さんで賑わうジャム名人のおばちゃんのジャムを手に、ふらふらと歩いていたら森の中に迷い込んでしまった。本当に首都とは思えない。地下鉄の駅から10分ほどのところから、いつのまにか森の中だ。村のお祭り気分を楽しむには もってこいなのだけれど、初めての森をやみくもに歩くのも怖い。人が歩いて作られてった道を追っていこう。
森の中には観客はいたのだろうかと思うような崩れかけた小さな夏の野外劇場、あちこちに点在する環境芸術……夏も終わろうとする今になるまで、私はその存在を知らなかった。夏は新聞など飛ばし読みだったしな。きっと私のほかにも森に引き寄せられるようにして入り込んだところで野外劇場や環境芸術作品にでくわした人も多いんじゃないかなと思う。
さて、森でベリーを食べたり、あちこちにある森の中の作品探しに夢中になっていたら、袋に閉まってあったジャムがひっくりかえっていた。フタからはみだすジャム、果たして読むんだろうかと思っていた本がジャム浸しになっていた。これ、何かのオブジェになるでしょうか。
フィンランド語ではシールトラプータルハという滞在型農園。農園というよりも週末のおうち、都市の夏小屋といった感じ。それぞれ小屋の感じも育てているものも個性があって楽しい。
森の中で突如あらわれた沼。環境芸術の作品探しに必死になっていたせいか、作品かと思ってしまった。自然もまたいつもと違った視点で味わって。
倒木のめくれ上がった根に鏡の破片が並べられている。陽の当たり具合によっては木の根が光を放ったりするのかもしれない。鏡を眺めようとしゃがんだら、土と緑の湿った匂いが一瞬にして体を包んだ。ほっ。