12月 雪のない冬
まだ靴底にスパイクをつけていないこの冬は、55年来の暖冬だという。そのかわり嵐のようなお天気が続いている。雪のかわりに雨というだけでもうんざりするのに、さらにビュービューと強風が吹きすさぶのだ。わずか1ヶ月ほどの間に、私は折り畳み傘を3つもダメにし、そしてヘルシンキ一の見応えと評判の大聖堂前のクリスマスツリーが倒れてしまう惨事がおきた。街には傘をさすことを諦めた人々を多く見かけるようになり、森の木々たちは、嵐を前にどうすることもできず、吹きすさぶ風にひたすら身をまかせてぐわんぐわんと幹をしならせるほかなかった。
12月は活気に満ちた時期だ。税金の還付があったりクリスマスプレゼントを用意しなくちゃいけなかったりで、どこもかしこも人で賑わう......はずなのに、今年はどうも様子が違う。クリスマス市の人々も「今年はまったくついてないよ」と寂しそうに笑うしかない。ユーロ不安とか不景気というよりも、ただただこのお天気に振り回されているようだ。それはたまに訪れる晴れの日を見ればよくわかる。
傘を持たない軽やかな散歩にすれ違う見知らぬ同士がつい笑顔を交わす。ときおり立ち止まり、そして景色を記憶にとどめようと持参した温かいベリージュースやコーヒーをゆっくり飲むひととき。人ばかりでなく、鳥や小さな動物たちも心躍るようで、気づくと陽だまりの気持ちのよいところには、人も生き物もいっしょくたになって集まっていたりする。
やがて訪れる夕暮れのとき。午後3時には空が赤くなる。沈む夕日は容赦なくぐんぐんと身を潜めていくけれど、空を染める赤はゆっくりと、そこに残ろうとしているように見える。鳥や生き物たちの、人々の思いをひしひしと受け止めるかのように、夕焼けの空はいつまでも赤くあろうとしているように見えた。もう少し明るい空を眺めていたい、もう少しでいいからこうやって一緒に空を眺める時間を皆で分かち合いたいというような思い。人々の思いが、生き物たちの思いがひとつになる感覚は、まるで絵本のクリスマス物語を思わせる。メリークリスマス。でもこんなひとときはクリスマスに限らず、いつも意識できるくらいの心のゆとり、忘れないようにしなくちゃ。
静かな夕暮れ。海もまだ凍らず、そして夕暮れの太陽を息をのんで見守るような空と水面。
鳥たちのクリスマス。鳥たちにへの餌のプレゼントはこんな風に。森の中の木々に転々と結わえていく。
なかなか雪が積らない。ときおり霜が降りてうっすら白くなると、ついつい冬らしい景色を求めて散歩に出てしまう。